「アルコール依存症」という言葉の隙間
お酒をやめる断酒ブログを読んでいると、
そのブログ主は元アルコール依存症だったという人が多い。
で、よくでてくるフレーズにこんなことが書いてある。
「自分がアルコール依存症だと強く認識して、一杯でも飲むと台無しになることを自覚することが大事である」。
たしかに大事なことにちがいないが、
ここにある裏のメッセージに気付くだろうか?
元アルコール依存症だろうが、そうじゃなかろうが、一杯飲むと飲酒生活に速攻で戻るのである。
なぜならアルコールは麻薬だから。
ここにある裏のメッセージとはこうだ。
元アルコール依存症だから飲んではいけない。
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自分と違い少し飲んでも大丈夫な人はいる。
↓
お酒は一般的には楽しいものでメリットもある。
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そんないいところもあるものを楽しめない自分はどこか損をしているのかもしれない。
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再飲酒!
といった具合になるのは必然の流れではないだろうか。
たしかにアルコール依存症という病気は存在するだろう。苦しんでいる人も多い。
しかし、そんな自分だから一杯飲んじゃいけない、お酒を受け付けない身体に自分はなってしまったんだ。。
こう思うのは間違っている。
アルコールをなんら身体に負担なく受け付けることのできる人間など存在しないのだ。
アルコール依存症になったから、お酒を受け付けなくなったのではなく、はなから受け付けてなんていなかったのである。
「アルコール依存症だから飲んではいけない」という曖昧な認識では、たまたま長いこと断酒がうまくいっている人がいたとしても、その曖昧な言葉にのせられて、再び酒をあおる人がでてもおかしくない。
では曖昧でない言葉とはなにか。
「アルコールは強い毒性のある依存性薬物」
ここには、一杯飲める人がどうのこうのといった曖昧な言葉が入り込む隙間は一切ない。